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はづきくんのお母さんからのメッセージ2012年01月12日

午前3:45、ドクンと体の中で音がした。今回は4回目の出産になるが、この感じは初めてだった。突然、体の中から伝わる不安に近い緊張は、トイレに入り喜びの緊張へ変わった。破水の量は10cc位、陣痛もまだまだ弱い。

 庄さんとは、妊娠検診中に何度も話し合ってきた。出産が近くなって出産のはじまり、連絡のきっかけなどについて細かく母子手帳に書き入れていた。

 すぐに連絡をとる必要がある体の変化だったので4:30に電話をした。庄さんは「はい、わかりました。すぐ伺います。」と応え、すぐにやって来た。私は「もう、いつ生まれても大丈夫」と安心した。

 しばらく家事ができなくなるので夫と子供たちに、多めのおむすびを握り、朝食を済ませた家族を送り出した。

 間もなくサポートの助産師である須藤さんもやってきた。陣痛がくるたび腰をさすってもらいながら、女3人でおしゃべりをしたり笑ったりしていた。昼前、破水してから7時間位たった頃、羊水が濁りだしてきた。まだ陣痛は弱い。13:00に内診することになった。さくら助産院では基本的に必要のない内診は行わないので、2度の出産で内診は受けなかった。先ほどまで和んでいた気持ちに緊張感が生じた。結果は4cm開大だった。

 15:00近く、同月出産予定の他の産婦さんから「陣痛が始まった」と庄さんの携帯に連絡が入った。私が取り乱しても生まれるわけでないのに、心の中で「どうしよう…」と不安になった。

 さくら助産院では完全予約制なので、同じつきの出産予定者の方と会う機会はあまりない。しかし、健診中によくなる電話や次回の健診を決めるときに他の妊婦さんの進行状況も入るのでどこかで仲間意識の様なものが私の中に芽生えていた。

 そして「電話の向こうの戦友の所へ庄さんを送り、その後、私の番になるのか」などとかってに出産の順番を考えている私に、庄さんは病院に行くことを提案した。濁り始めてきた羊水のことや弱い陣痛、現状ではどのくらい時間がかかるか予測がつきにくいことを挙げた。そしていざという時のことを考え医療をきちんと受けられる場に移動しようと提案した。

 “自然なお産”=“自宅出産”、頭の固い私にとって病院の出産は分娩台に仰向けになり、ひたすら腰の痛みを我慢する苦痛なイメージだった。でもなぜか、私は素直に「はい、行きます。」と答えていた。

 私は、産婦である私よりパニック状態の夫が運転している姿を見てどんどん冷静になっていった。ぴたりと前を走る庄さんは、病院までの20分ほどの間に「大丈夫?」と2回電話をかけてきて確認しながら向かった。出発前から、庄さんは病院の方へ詳しく状況を伝えていたので到着してから内診・エコー・診察が速やかに行われた。4畳ほどの畳が敷かれた分娩室に入り、病院の助産師さんに手伝ってもらい大きなクッションにつかまり強くなってきた陣痛をフーフーと逃した。

 私は、初めての病院の中で落ちつかないでいた夫と息子を、お迎え時間が迫っている娘の保育園へと送り出した。

分娩室は急に静かになった。そして突然その時が来た。

強烈な痛み、「もう、息を吐いている場合じゃないっ」、う゛う゛~と力みがはいる。

 18:09に赤ちゃんは元気に泣いて会いに来てくれた。
その夜は入院した。静かな病院は居心地はよかった。あんなに家では不安がって「もう少し待てば生まれるかも…だから家で…」と思っていたが、結果的に病院でよかったと思う。安全に安心して赤ちゃんを迎え入れることができたんだもの。

 その日、もう一人の産婦さんは陣痛がおさまり出産にならなかった。でも、あの時のタイミングで電話があったから結果的に良いお産ができたんだと思う。偶然なのか運命なのか赤ちゃんたちの連携プレーに、出産って神秘的だと感じていた。

 やはり、冷静かつ的確に見守ってくれた助産師さんたちの「安全が大事」という方針によって、私は無事出産できたと心から感謝している。

 庄さん、須藤さん、佐野先生、朋佑会病院のスタッフの皆様ありがとうございました。

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